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 愛知県の伊川津貝塚から発掘された約2500年前の縄文人の人骨からゲノム(全遺伝情報)を解析したところ8000年前のラオスの遺跡から発掘された人骨やマレーシアの4000年前の遺跡から発掘された人骨のゲノムとよく似ていることが明らかになったそうです。縄文人とのゲノムの近似性を明らかにした国立大学の論文が7月6日付の米科学誌「サイエンス」に掲載されたそうです。縄文人の祖先はラオスから来たのでしょうか。

 勝手な想像をしてみます。
何かの原因でラオスから移動し海のある地域にたどり着き、そこも移動することになり、海に出て黒潮に乗り流れ流れていきました。黒潮は幅100キロ位あり、最大速度は時速7.4km位あるそうです。人間は大体時速4kmで歩きますから大陸を歩いて行くよりずっと早く行けます。着いた島を「みやこ」としたり、さらに進み周囲わずか8キロの久高島にたどり着き、そこを足掛かりに本島に移動し一族のまとまりを示すためその島を「おおきなわ」と名付けました。一族の中の貴き方の住まいは龍の宮と呼ばれ、そのうち「りゅうきゅう」と言われるになりました。「おおきなわ」は移動前に住んでいる所なので国生みする必要はなく古事記には書かれていません。そこも手狭となり国生み神話の大八島に黒潮で島伝いにたどり着き、日に向き合う所の内陸部に暫く落ち着きました。更に瀬戸内海を通って東征しラオスと同じような山の中に都を創ります。前住地の名を移住地につけることはよくあります。漢字が伝わる頃にはいつの間にか「おおきなわ」が「大きな和」となり「大和」と書かれるようになりました。到達地としての「大和」は山が沢山あるところなので海の所に対して山等「やまと」と呼ばれました。また、時が流れ大の字も取れて和だけとなり大八島等々を和の国というようになりました。科学は空想からの発見ですが、おとぎ話として読み流して下さい。

 ところで、「和」といえば聖徳太子の有名な十七条の憲法には「一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し」とあり、和の心で議論して物事を進めよとあります。 我々もどんな状況においても和の心を忘れずに接客に努めましょう。しかし、和というのは波風立てずに相手の言うままにということでもありません。
和して同ぜずという言葉もあります。
 和(やわらぎ)の心をもって十分説明しましょう。頑張りましょう。
                                            支部長 関屋總明
            
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